2410632 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

わたしのブログ

わたしのブログ

【明算(めいさん)上人】

明算上人

明算上人は、平安時代中期の治安元年(1021)、田中荘神崎村(現在の竹房)に生まれ、11歳で高野山に修学し、52歳で高野山法流の主流である中院流を開いた。承保2年(1075)、故郷の生家に龍蔵院を建立し、一ノ宮八幡(現在、東田中神社に移築合祀)を鎮守として祀った。寛治4年(1090)、69歳で高野山の検校執行職に就くとともに、大塔・奥院拝殿などを建立し、高野山復興の祖といわれる。龍蔵院の東下約20mに、明算上人産湯とされる井戸がある。また、明算上人とともに西行法師(佐藤義清)も佐藤氏一族と考えられ、今でも龍蔵院付近が『佐藤城址』と呼ばれることから、田中荘を治めた同族の根拠地で、居館があったと推定される。


© Rakuten Group, Inc.